ついにイングランドの医師の完全なる賃金回復(Full pay restoration)を求めるストライキが終結した。
時々ブログに書いていたように、イングランドのジュニアドクター(コンサルタント・SASを除くすべての医師を指す用語なので、日本のそれとは意味合いが違う;ストを通じて市民がジュニアドクターを学生かのように勘違いしていることが判明したので、今後BMAは「ジュニアドクター」の代わりに「レジデントドクター」を使うことに今月決まった)は2022年の3月から2024年の6月くらいまで、毎月ストライキをしていた。1日から初めて、最長で4日か5日ほどのwalkoutがあったと思う。
ストライキはBMA(British Medical Association;医師の労働組合)主導で行われた。BMAがまず組合員に投票でストの意向を問い、組合員の少なくとも50%が投票し、そのうち過半数がストに賛成の票を投じることでストが始まる。一回の投票は6ヶ月有効なようで、最初の投票以降は2回ほど追加でストの意向を問われた。
一番最初の投票は、労働組合の運動が盛んな英国ですら歴史的とも言える圧倒的多数のYesが集まったことで話題になった。
Turnout: 77.49%
Number of individuals who were entitled to vote in the ballot: 47,692
Number of votes cast in the ballot: 36,955
Yes votes: 36,218 – 98.06%
No votes: 716 – 1.94%
Spoiled or otherwise invalid voting papers returned – 21
ストライキ開始当初に与党だった保守党は賃上げに全く乗り気ではなく、ストライキ期間中の病院の経営難の補填に賃金回復にかかる以上のお金を費やした。ちなみに、NHSで働き始める前は、パンデミックで色々と問題を起こしたボリスジョンソンをみても特に個人的に何かを感じることはなかったのだが、ストライキが始まってからのほとんどの期間で首相をしていたリシスナクについては、声を聞くだけでも怒りや嫌悪の感情を抱くようになっていて、自分がイギリスの労働者になったことを実感した。
それが労働党に変わると2週間ほどで議論がまとまり、BMAがオファーを組合員に提示して、我々組合員はアクセプトとリジェクトの2択で投票をした。私はリジェクトで投票したのだが、投票の次に理由を問うページでは、「Full pay restorationではないからリジェクトした」「Full pay restorationをするという約束がないこれっきりのオファーなのでリジェクトした」「アシスタント(Physician Associates)より安い賃金で働いている医師がいる限りその給与体系は許されない」などかなり具体的で、組合員がリジェクトの理由をこんなにはっきりと知っているのに何故このオファーを俎上に載せたのか?ととても不思議に思った。
BMAが推奨していたレートカードを取り下げるというのもオファーアクセプトの条件の一つで、そこも気になっていた。BMAは病院が一般的に提示してくる時給の2倍近い時給を推奨していて、これを元に病院と交渉して一般レートの2倍で働く医師がいたのだが(Locum rate自体が普段働いている時給の2倍くらいなので、BMA提示のLocum rateは破格の時給だった)、今後はそれは難しくなるかもしれない。

その後、ストライキを主導していたリーダーのひとりであるGPのRobが Medics Money Podcast で、なぜこのオファーをアクセプトすべきなのかを話しているのを聞いて、アクセプトにしたら良かったかもな〜と思っているところに、アクセプトの結果が出たので、これで良かったように思う。
このオファーの前は、Pay restorationの金額も少なかったし、Back payの案もなかったし、賃上げをトレーニングプログラムに載っている医師に限る案だった。BMAの幹部はその辺の交渉を頑張ってくれたようだ。

この図にあるように、イングランドのレジデントドクターの給与は、スト開始時点だと2008年と比べて31%も少なかった。この15年の間に、医療はより複雑になり、勉強することやできなければならないことが増え、パンデミック期間はパンデミックの最前線に立たされ、当時より31%多い給与をもらってもいいくらいなのに!

オファーアクセプトの影響
Full pay restorationには程遠いけれど、アクセプトによって色々と利点もある。
Back Pay
2023/24年の給与が4.05%上昇し、これが遡って2023年4月から適応となるので、かなりの額が振り込まれることになる(ただしここから税金が引かれる)。

新しい給与体系とwork-life balance
これで次の給与はこんな感じになる:

医師の役職名についてはMisc.にある語彙集を参照してほしいが、私(一般内科、トレーニング1年目)に関連のあるところでいうと、年俸£40,257 がストにより£49,909 に上昇する。
現在のポストに就いた時の給与概算では、Basic Pay £43,923(なぜ国の指定するBasic Payより少し高いのかは知らない。物価の高い地域だからだろうか?)に夜勤・休日・時間外手当がついて、年収£54,557(1045万円)となっていた。これを加味すると、オファーアクセプト後の実際の年収はBasic Payより£10,000から£15,000 ほど高くなり、年収は£60,000 – £65,000くらいになる。年収が£50,000を超えると超えた部分だけ税金が40%かかるので(そこまでは20%)、手取りは月£3700 – £4000(70万円から76万円)くらいだろうか。日本とイギリスでは物価が違うので日本円換算だけで判断はできないが、これくらいの手取りがあるとイングランド(ロンドンを除く;ちなみにロンドンではロンドン手当がある)でも生活に結構ゆとりがある。
日本の卒後3-4年目くらいの医師の手取りもこれくらいだろうか?日本の医療を離れてしばらく経つし、記憶がNHSで塗り替えられているのでもう曖昧にしか覚えていないことも多いが、福利厚生はイングランドの方が格段に良いのは間違いないので、イングランドでは日本より少ない労働時間で同じくらいかそれ以上の給与がもらえる感じだと思う。
土日祝日を除いて年休27日(NHS勤務5年後以降は35日)、育休(私が知る限りNHSイングランドでは男性医師もよく取得する)や産休やcompassionate leave制度も充実している。夜勤は3-4連勤で、明けの日とその翌日は休みの決まりとなっているし、1回の夜勤が12時間勤務なので、3-4日も夜勤をすると1週間に42時間以内(NHS Englandではレジデントドクターを48時間/週まで働かせることができるが、当院では43時間の決まりになっている)という労働時間制限(興味のある人はDoctors and the European Working Time Directiveを参照)により前後1週間でそんなにシフトを入れられないことになっていて、その辺も合わせると夜勤のある月は勤務表がすかすかになる。IMTだと年に30日のStudy Leaveも得られる。Study Leaveは家から受講するオンライン講習に使ったりポートフォリオを整理するのに使ったりできるので、病院の喧騒から離れられて1日の疲労度が全然違う。Study Leaveの予算は病院ごとに決まっているようなのだが私の病院ではなんと無制限に申請できるようなので、Study Leaveを使い切るようにたくさんオンラインの勉強会に出ようと思っている。
私は今週、この病院で勤務を始めて以来2回目の週5勤務の週を経験した。基本的に週3-4勤務の日が多いので、久しぶりの週5勤務は流石に疲れてしまったが、今日から10連休が始まったので大丈夫だ。バーンアウトしそうな予感は今のところない。
Bank and Build strategy
上記の賃金上昇分を貯金して、次のストに備えることができる。
これまでのストでは、経済的不安のあるレジデントドクターがストをできるようにするための緊急ファンドを募金で賄っていた。レジデントドクターのストを支持するコンサルタントたちが、 ローカムレートで働いて、その収入分を全てファンドに寄付するという形でなんとか回っていたのだが、過去1年半以上の効果があるストをするためには、今後はより多くのレジデントドクターのスト参加が不可欠で、医師個人がBank and buildをしている間にBMAとしてもより安定した資金供給が得られるような体制を整える手筈らしい。
2027/28までにFull pay restorationを達成するのがBMAが目指すところのようで2025年4月5日までに政府との交渉が決裂したら再度ストをするらしい。最終目的はあくまでFull pay restorationなのだ。
Exception Reportの簡易化
時間外労働分は給与を申請することができるのだが、時間外申請の際に働いた理由を細かく説明しなくてはならなかったり上司の承認が必要だったりするのがネックで、面倒くさくてまたは気を遣って申請できないトレイニーがいることが問題となっていた(多分勤務1年目のどれかの記事にも書いたが、「俺たちが若い頃は連続x時間勤務も普通だった」「最近の若手はだらしがない」という上司のもとで空気を読んで申請しない傾向が外科では特に強いようで、空気を読む文化が日本のそれと重なってみえる)。
それが今回のオファーをアクセプトすることにより、
- スーパーバイザーをプロセスから外す
- 申請締め切りをなくす
- 時間外労働正当化の要項をなくす
- 2時間以内の時間外労働についてはscrutinyの閾値を下げる
ことが決まったので、気軽に申請できるようになりそうだ。
トレーニングポストの増加
トレーニングポストを増やすことも今回のオファーの一部である。
2016年のスト失敗で求心力を失っていたBMAだけれど、2022年からのストでは支持が戻ってきているし、今回のオファーを受けた後も”Bank and Build”ののちにFull pay restorationまでは政府との交渉及び必要があればストを再開すると言っているので、給与はこれからも上がり続けると期待している。
参考:Offer from Government for resident doctors in England – Your questions answered











