• 車をレンタルして、恋人と9日間のスコットランド旅行をした。

    1日目:Edinburgh

    2日目:Stirling → Fort William (via Loch Lomond and Conic Hill hike halfway through)

    3日目:Fort William → Glenfinnan → Tioram castle → Ben Hiant → Marisaig/Arisaig

    4日目:Arisaigから船でIsle of Skye; Armadale → Sligachan → Fairy Pools → Neist Point lighthouse → Dunvegan castle → Portree

    5日目:Portree → Duntulm → Kilt Rock → Old man of storr → Eilean Donan Castle → Inverness → Fort Augustus

    6日目:Fort Augustus → Anstruther → Isle of May → St Andrews

    7日目:Edinburgh

    8日目:Edinburgh

    9日目:Edinburgh → England

    Lonely Planetやいろんな人のブログを参考にしてこういうコースにした。写真を整理して記事にしたら誰かの役に立つかもしれないので、後でやろうと思う。

    UK移住後1年以内なら日本の免許証が使えるのは知っていたけれど、正式な翻訳証明書が必要なのは知らなくて、カウンターでとても困った。結局、今回の旅行中は彼だけが運転することになった。

    車は学生割引があったことや1日あたりのマイレージに制限がなかったことから、EuropCarで借りることにした。学生割引を抜きにしても、Europcarが値段や安全面で一番良さそうだった。車のレンタル会社が提示してくる保険は不必要に高額なことで有名で、私は外部の保険に加入する手続きをしていたんだけど、私が運転できないことになったので保険も解約せざるをえず(運転者と保険申込者が一致していてかつUK在住である必要があった)、1週間で200ポンドくらいする高額な保険に入ることになってしまった。さらには、レンタル期間を1週間間違えて予約するという大失敗もしてたんだけど、それも何とかなった。良かった…。

    車は普通車が一番良いと思う。特にスカイ島では、一本道を譲り合いながら進むことも多くて、数十メートルおきに設置された passing pointを使って対向車とすれ違うので、普段運転に慣れていないキャンピングカーやキャラバンなんかだと少しこわいと思う。それから、車は基本的にマニュアル車なので、マニュアルに慣れておく必要がある。エディンバラ以外の都市では基本的に、6pm以降は駐車無料の駐車場ばかり・日中でも短期間の路上駐車は無料の場合が多いので、有料駐車場を使う前に少し注意して周りを見ると良いと思う。

    宿は、カウチサーフィン・Airbnb・ホステルを使った。Airbnbはどこも2人で一泊35ー40ポンドくらい。中央部や西の方は、直前だと結構予約が埋まってて、少し心配だった時もあった。早めに予約しておくのが良さそう。荷物に余裕があるなら、寝袋を持って行けば、Central Highlands & Southern Highlandsではテントを借りたりコテージを借りたりしてもっと安く済むと思う。

    毎週金曜日の夜は必ずエディンバラのどこかのパブでCeilidh (ケイリー)があるらしい。残念ながら、私たちが行った時はBank Holidayでどこもやってなかったんだけど、とても良い経験になると思うのでぜひ金曜日の朝にはエディンバラで車を返却して欲しい。ケイリーは、スコティッシュダンスのことで、音楽に合わせて飛び跳ねたりぐるぐる回ったりする。私も何度かやったことがあるけれど、本当に楽しい。踊ったことのあるダンスの中で一番好きなダンスかもしれない。部外者にも広く門戸を開いていることが多いようなので、旅行者でも仲間になって楽しい夜が過ごせると思う。

    中学生の時に英語の先生が話していた、エディンバラのボビー。いつか見てみたいと思ってた。思ったより小さかったものの(ボビー目指して歩いてなかったら見過ごしたかもしれない)、ボビー周辺のお店はボビーにあやかった名前ばかりで影響力のある犬だった。顔つきは、想像していたよりもハンサムで凛としていた。彼が「スカイテリア」なのは知っていたけれど、”Skye Terrier”と綴ることを知って少し感激した。色褪せた鼻が、モンマルトルでみかけた乳房だけ金色に光るブロンズ像を彷彿とさせた。みんな、前方に突き出しているものに触りたがる。

    スコットランドの旅行は、論文を書いたり知識を吸収したりする目的でない、ただただ愉しむだけの読書みたいな経験だった。歳をとると、知識も経験も増えて、色んなことが初めてではなくなってしまって、昔のように頭からつま先までのめり込むのが難しいように感じる。でもこうやって旅行をしたり限られた時間を普段出会うことのない人たちと過ごしたりすることは、非日常の興奮に加えて、経験の背後にある世界に対する想像の余地を与えてくれるので、愉しむだけの読書に匹敵する感動が得られることがある。

    スコットランドの旅行はまさしくそんな感じだった。物理的に移動するだけではない、特別な旅行。特に、カウチサーフィンで出会ったエディンバラのホストが何とも表現しがたい独特の人で、私たちは彼とエディンバラが大好きになった。人を表現する形容詞は幾多とあるけれど、そのどれを組み合わせても彼を的確に表現することはできないと思う(少なくとも私には…)。

    スコットランドは私の心をつかんで離さない。記憶を思い返して、ため息をつく。

  • この地域には上品で親切な高齢者が多い。

    冬の終わりごろ、私は大きな段ボールを抱えてコンビニの郵便サービスに並んでいた。私の前にいたのは、赤い歩行器をもった細身の高齢男性だった。動き方がぎこちなく、立っているだけでもつらそうに見えた。彼は、シャツの上にセーターを着て、きちんとしたトラウザーを履いて、その上に黒いコートを羽織っていた。確か、感じのいい帽子もかぶっていた。驚いたのは、その男性が「お先にどうぞ。荷物、重そうですね。」と言って、私に順番を譲ろうとしてくれたこと!私の段ボールはとても軽かったので、丁寧にお礼を言って断ったけれど、自分のことだけでも大変そうな人に親切にされて心が温かくなった。

    書評会など一般向けのイベントに行っても、上品で親切で教養のありそうな高齢者が多い。この前参加した物理のイベントでは、トイレに並んでいる列で「私は50年前に物理を専攻してました。あなたは?」「私は数学専攻でした、学部生のレベルだけど。夫が物理で大学教員をしていたので、今日は夫と一緒に来たんです。」みたいな会話が聞こえた。50年前に大学に通っていた女性たち!びっくりした。

    こういうイベントの時は、横の席に座ったアジア人の私に他の学生と同じように話しかけてくれる人も少なくない。外国人扱いしないで、天気の話とか、専攻の話とかをする。

    それから、街を歩いている高齢夫婦は大抵、手をつないでいてとても素敵だ。長く連れ添った夫婦は、振る舞いや服装・持ち物の趣向が似ていることが多い。そういう夫婦が、手をつないで街を歩いている様子に、いつもうっとりしてしまう。

  • Is There a Duty to Die? and Other Essays in Bioethics (John Hardwig) という本を読んでいる。その中に、Elder Abuse, Ethics, and Contextという章があった。面白いのでまとめてみた。

    日本では、老老介護が話題になって久しい。金銭的にも精神的にも追い詰められた介護者と被介護者の悲しい事件も少なくない。

    十分な貯蓄のある夫が妻の介護にお金を使いたくないからと介護士を雇わず妻を閉じ込めるのも、介護費を捻出できず24時間週7日体制で面倒を見ている夫がつかの間の睡眠を得るために妻を閉じ込めるのも、「高齢者の虐待」とされるが、本当に両者の間には違いがないのだろうか?

    介護者の義務を文脈化する

    介護者は、介護している家族に対してどのような義務を負っているのだろう?以下は、Elder Abuse, Ethics, and Context. Is there A Duty to Die?. pp 72-73 からの要約抜粋だ:

    誰も、(1)「できる」以上のことを「すべき」ではない。精神的に、感情的に、肉体的に、社会的に、経済的に、「できる」以上のことは、義務ではない。しかしながら、(2)「できる」は「できる限りあらゆること」とは違う。できる限りあらゆることをする、というのは、介護者を被介護者の手段として使うことなので、間違っている(誰も単なる手段になってはならない)。(3)本人がそうしたいと思っていても、介護者のために可能な限り全てのことをするのは、しばしば間違っている。誰もが相反する義務を抱えていることもこれを支持する。例えば、3人の子どもがいる男性が、自らの母親の介護に全力を尽くし子どもの世話を放棄するのは間違っている。もし子どもの世話のために、どうしても被介護者を無視したり拘束したりする必要があるのならば、そして他に選択肢がないならば、そうすることが正しいこともあるだろう。

    (4)介護者の欲求や興味は、被介護者に対する義務を制限することに関連する

    これは、誰も他者の単なる手段になってはならない、という倫理原則から導くことができる。介護者には介護者の生活がある。「適切な」介護の度合いは、家族全員の利益や不利益や生活の質を念頭に判断されなければならない。

    (5)認知症のない高齢者の介護にどれだけ責任を負うかは、被介護者の振る舞いによる

    意地が悪い、残酷、憎しみにあふれた、自己中心的な、横暴な、過度に要求の多いような被介護者から、介護者が自らを守ること・距離を置くことは大切である。

    (6)認知症の有無にかかわらず、高齢者の介護に対する責任は、過去に被介護者が介護者をどのように扱ったかに関係する

    幼い頃に精神的・肉体的に虐待を受けた娘は、老いた父の介護において、そうでない場合より負う責任が少ない。

    (7)若い時に過度に浪費したのち、高齢になり介護が必要になってから金銭を要求する高齢者に対しては、家族の負う責任は少ない。

    感想1

    1ー4あたりは、妥当で納得のいく主張だと思ったけれど、5、6、7、特に7は、少し驚いた。日本では依然として、どんな親でも血縁関係にある限り面倒をみるのが常識、というような考え方が根強いと思う。責任感が強い人、社会的通念に黙って従う人は、介護をするにしてもしないにしても自分を責めて心を病んでしまうことが多いと思うけれど、こういう考え方が日本でもう少し広まっても良いと思った。

    社会的虐待

    ところで、個々人に起因する何らかの理由で適切な社会的サービスが受けられず、冒頭で述べたような悲惨な事件が起こってしまう場合に、「虐待は虐待だが、悪いのは介護者ではなく、社会である。これは社会的虐待だ。」と言われることがある。

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  • Aさんは確か、70代の男性で、何らかの心血管治療後ICUに長期入院していた。もう何年も前の話で記憶が曖昧なのだが、余命いくばくもなかったはずで、彼の最後の希望は、車で何時間と離れた場所にある自宅に帰ることだった。彼の思いを聞き入れた担当の若手医師が、「帰宅中に死ぬかもしれない」ことに了承を得た上で、ドブタミンの入ったシリンジポンプをつけて1日限りの帰宅を許可した。

    この医師と一緒に働いていた私の同僚が、このことについて私に質問してきた。

    「長期間ICUに入院しているというだけで、もう一般の人の何倍もの医療資源を投じられてる。その上にドブタミンのついたシリンジポンプを用意して帰宅させることは、ひとりの人間に資源を使いすぎなんじゃないの?」

    現場と政策のちがい

    それに対して私は、Micro-AllocationとMacro-Allocationの話をした。つまり、資源配分をベッドサイドで決めることと、政策レベルで決めることの違いだ。

    そもそも、ベッドサイドで資源配分を決めても良いのか?ある患者さんに資源配分を制限すること(つまり治療を制限すること)は、患者さんの医師を信頼する気持ちを裏切ることと等しいのではないか?という疑念がわく人もいるかもしれない。その一方で、人々の医療保険で成り立っている限られた資源を、出来る限り多くの人を救うために優先順位をつけて配分することもまた、医師の重要な仕事の一つのようにも思われる。

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  • 人は変わらないこともできるし、良くなることも悪くなることもできる。

    私は今が私の人生でいちばん善い私だと思う。善くありたいと思っているし、善くあろうと努力している。

    日本で普通に暮らしていると、良くない思想に染まってしまう。性別による差別、容姿による差別、年齢による差別、外国人に対する差別、この辺りは、社会に興味があって日本で社会生活を送っていれば誰もが一度は通過する差別だと思う。

    私は過去の自分を恥じている。一ヶ月に一度は必ず、記憶がありありと蘇ってきて居た堪れない気持ちになる。善くあろうとするのは、過去への懺悔によるものかもしれない。

    人は変わらないこともできるし、良くなることも悪くなることもできる。私は、善くなることを選んだ。だから、かつての私を知っている人には、私のことは忘れてほしい。悪事だけでなくて、私の存在そのものを丸ごと、忘れてほしいと思う。

    私はいつも「過去ではなく未来が自分を規定する」と思って生きてきた。それは日本の田舎に生まれて他に選択肢のなかった自分への慰めだった。外国に住みたい・世界を良い場所にしたいという強い想い、それが私の核をなしていたし、それによって私は評価を受けるべきだと思っていた。それを実現すべく努力している当時でいう「現在の」自分は、多少なりとも自己像に影響を与えていたけれども、未来の志向ほどではなかった。

    当時の過去への無関心は、確かにある程度正しい態度ではある。ある年齢までの選択は、自分で選んでいるようでいて実は自律したものではなかった。でも、就職を決めた頃から、事態は一変した。自ら選んだ好きな地域に住み、自分の稼いだお金を自分の好きに使えることで、私が私の人生を形作っているのだという意識、私が決めているのだという自負が生まれた。そして、過去が重みを持って、迫ってくるようになった。

    過去の自分は、もう誰のせいでもないし誰のせいにもできない。少し大目に見て、22歳くらいまでの私は環境のせいにしたいけれど、それ以降は全部自分で選んだことで、自身による評価の対象だと思う。そして、「過去ではなく未来が自分を規定する」という言葉のもつ希望に安らぎを得ることも時には大事だけれど、同じように、現在の蓄積で生まれてゆく過去も大事にしたいと思う。

  • 効果的な利他主義(Effective Altruism)のセミナーや勉強会や合宿に数ヶ月参加してみて、EAを日本に普及させる上での課題について考えてみた。

    どんな人が参加しているのか

    EA Oxfordは、学部生から大学院生・社会人まで幅広い年齢の人が参加している。EAが対象とするテーマは前回の記事にかいた通りだが、特にAI safetyや人工知能に関心のある人が多い。それだけ、「善いことをより良く行う (Doing Good Better)」上でAIが大きな鍵を握っているということだろう。(単にAI関連の話題が他の分野より仕事探しに直結しやすいということも少しはあるかもしれない。)ロンドンやカリフォルニアに行くと、40ー50代くらいの人も多いようだが、オックスフォードでは20-30代が圧倒的に多く学生団体としての側面が強い。

    学部としては、数学科、物理学科、哲学科、PPE(哲学、政治、経済専攻;オックスフォードの中でも超エリートコース)が多い。収入の10%を効果的なチャリティーに寄付するだけでもEffective Altruist(効果的な利他主義者)を名乗ることはできるが、より多くの善をなしたい人、社会に大きなインパクトを与えたい人たちが、そういうキャリアを模索したり、モチベーションを保ったりするために、EAの勉強会に参加しているようだ。

    性格は、非常に社交的な人から非常に内向的な人まで幅広い人がいるので、どんな人でも「善いことをより良く行う」ことを目標にしている気の合う仲間が見つかると思う。EAが取り組む課題の一つに工場畜産の撲滅があるので、菜食主義者が圧倒的に多い。ベジタリアン、ヴィーガン、あるいは肉食を週に1回程度に制限するフレキシタリアンなどの食生活が主だ。ベジタリアンはスポーツプレイヤーには向いていないという見方も日本では根強いが、筋肉隆々のラグビープレイヤーなどもEAの主要メンバーにいる。

    活動内容

    週に1度、持ち回りの勉強会、希望者を対象としたお昼ご飯を食べる日と夕ご飯を食べる日がある。2週ー3週間に1度の頻度で、ボードゲームの会や飲み会も開催される。不定期に、AIやバイオ分野の優秀な研究者の講演会などがある。また大学卒業後にEAのインターンとして働いている人々を主体として、隔週で、新規メンバーに向けた Concept Workshop や Career Workshop なども開催されている。活動は全て無料。年に3回くらいある2泊3日程度の合宿も、宿泊費や交通費や食費込みで£20と格安で参加できる。勉強自体は80000 hours のポッドキャストを聞いたり、EAのウェブサイトや本を読んだりして一人の時間にもできるので、勉強と同じくらいかあるいはそれ以上に、メンバー同士の交流やネットワークづくりが重要視されているようだ。

    またEAに本腰を入れる若者向けに、EAに賛同するお金持ちが提供するホテルがあるのだが、そこに1年間無料で住んで(生活費も支給されるのかどうかは知らない)、EA関連の活動に取り組む人たちもいる。私が知っているアメリカ人は、学部卒業後、そのホテルで小説を書いている。30人くらいの人たちが、思い思いの活動をしているようだ。

    日本人が参加したいなら

    ものすごくざっくりいうと、EAは、チャリティのような利他行為+世界規模にインパクトのある高給取りの仕事に就くこと両方の実現を目指した人たちがたくさんいる。活動にしばらく参加してみて、日本で企業するタイプの若者に非常に親和性の高い概念ではないかと思った。

    お金持ちになりたい若者、世界を変えたい若者、AI safetyに興味がある若者、奨学金でイギリスに住んでみたい若者、先進国にいる志の高い若者と人脈を築きたい若者、すでに仕事を持っていて転職するつもりはないが世界をより良くすることに貢献したい社会人、あたりに非常におすすめだ。

    台湾や香港にはEAの支部があるようだが、日本にはないので、興味のある人は今がチャンスだと思う。というのも、きっと日本に支部を立ち上げる上で本部から奨学金を得やすいし、日本に支部を立ち上げたいというmotivational letterを書けば、イギリスの有給インターンの仕事や上記ホテルの滞在権、EA関連の研究に取り組む大学院生に支給される奨学金などを得る確率が上がるだろうから(こういう話は、EA Oxfordのページとかに掲載される)。私はEAとは無関係にやりたいことがすでにあるので、今からそのチャンスを掴みにいくつもりはないけれど、もっと若い頃に知っていたら違っていたかもしれない。

    問題点としては、日本語でアクセスできる情報が限られているので、メンバーはある程度英語が読める・聞ける・話せる必要があることが現時点では最大の関門かもしれない。それから、オックスフォードやカリフォルニアではEA関連の研究をしている優秀な研究者が常駐あるいは頻繁に来訪し、EAメンバーだけでなく数学科の学生や一般人など幅広い人々を対象として講演会をできる一方で、日本ではEAに興味があってEA関連の研究をしていて講演してくれるような研究者を見つけるのは、オーディエンスが少なく資金調達できないなどの理由もあって難しいかもしれない。また、EAは日本においては「CVの穴」とみられかねない新卒後の活動を積極的に推奨しているようなところがあるので、EAの勧める価値観にのめり込みすぎると、日本の新卒採用のレールからこぼれ落ちてしまう危険もあると思う。

    それでも、日本人であることが各種奨学金を得る上で強みになると私は踏んでいるので、日本の若い人にはぜひEAについて理解を深めてほしいと思う。

  • 効果的な利他主義(Effective Altruism)とは、エビデンスや推論に基づいた利他行為の哲学的・社会的活動だ。誰もが一度は、世界を変える仕事がしたいと思ったことがあると思う。人々の苦しんでいる姿や正義にもとる社会の現状を目の当たりにしたとき、何かしたいと心が動かされるものだが、「何か」とは何なのか知ること、まして実際にそれに取り組むことは非常に難しい。利他的な功利主義(以下EA)は、これに立ち向かうべく生まれた概念だ。EAは、質の高いエビデンスと推論を用いて出来るだけ他者を助ける研究分野のことであり、世界の喫緊の課題に最も解決の見込みある手法に情熱を傾ける人々のコミュニティのことでもある。

    EAの特徴

    EAには大きな特徴が4つある:

    1. 最大化
    2. 科学に基づく
    3. 公平
    4. 福祉/福利

    「効果的な」利他主義なので、費用対効果を最大限に得ることを目的としている。また「効果的」であるためには、最先端の科学的知識に基づいて行われなくてはならない。公平というのは、例えば遠くブルキナファソで亡くなるひとの命も、日本で亡くなるひとの命も同じように1とカウントするということだ。最後の福祉とは、より多くの人がより幸せになることを目的とする活動なので富の再配分など福祉的側面が強いことをさす。

    EAの取り組む課題

    EAが取り組む課題の特徴は次の3つだ:

    1. 大規模
    2. 解決できる
    3. 誰も手をつけていない・手薄である

    大規模かつ解決の糸口がある問題で、手薄であればあるだけ、成功した際に大きな利益が得られる。

    6つの分野

    具体的には以下の6分野が挙げられる:

    1. 国際保健
    2. AIセーフティー
    3. 工場での畜産
    4. 核の安全
    5. バイオセーフティー
    6. 実存的リスク

    国際保健については、マラリアの予防・治療に関する研究が最もよく挙げられる例だが、他には、WHOが見落とされた熱帯病という大きなくくりで取り組んでいる疾患として、狂犬病やシャーガス病などもある(*)。貧困国で頻発する感染性疾患は、インフラさえ整っていれば激減することが考えられるものもあるが、インフラ整備により多く投資するのか、疾患それ自体の予防や治療法を開発するのか、その重み付けもEAの関与する問題だ。

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  • 今日は街頭で、中高生たちが学校を休んで環境問題に対して政策を講じない政府への抗議をしていた。数名の警察官や保護者に囲まれ、若者が大声をあげて環境問題への迅速な対応を訴えていた。以前の国連環境長官の、真摯な若者の声に耳を傾けるべきだ、という発言に後押しされてストライキ実施に至ったようで、どうもイギリス各地で同様のストライキが行われているようだ。

    この活動は8月に行われたスェーデンの少女の単独ストライキに端を発している。15歳のGretaは、ストックホルムの議会の前に毎日座り込んで9月に行われる選挙で環境問題を議題の一つにするよう抗議を続けた。大人たちが私たちの未来を台無しにしている、大人は環境問題に真摯に向き合わねばならない–その危機感に突き動かされた彼女の勇気ある活動は今やヨーロッパ各地に大きな運動を巻き起こしている。本日はイギリスだけでなくフランスにおいても、初めての大規模ストライキが行われた日だし、ベルギーやドイツやオランダではここ数週間にわたって中高生による同様のストライキが起こっている。

    *

    私はこちらにきて、日本にいた頃よりずっと、環境問題に意識を向けるようになった。大学で、環境問題、特にプラスティックの海洋汚染問題に対する取り組みが熱心に行われているのが大きな理由だと思う。例えば直近に回ってきたメーリングリストには、不要なプラスティック包装を避けるため、野菜を直産マーケットで購入することの推奨や、塩や胡椒といった食品をパッケージングなしで購入することのできるお店の情報などが記載されていた。シャンプーすら、LUSHで買えばプラスティックのボトルなく手に入る。

    *

    先日は「飛行機を使わない旅」の講演会に参加した。Gretaは、電気を消したりリサイクルしたりを推奨する大人が、休暇には飛行機でニューヨークにいく、と指摘している。確かに、ヴィーガンで地産地消・リサイクルを心がける生活をしていても、一度スウェーデンからバリ島まで飛行機で飛んでしまえば、普段の努力も水の泡になるくらいのCO2排出に加担することになる。それを踏まえて、旅行が仕事なのにも関わらず飛行機を使わない旅を実践しているジャーナリストの、個人的経験や手法についての講演会だった。

    彼女は、我々が飛行機に乗るのは仕事や家族などさまざまな理由があるので飛行機に乗ることを選ぶ人を批判するわけではないが、飛行機じゃない選択肢も心においてほしい、と留意してから、彼女のスウェーデンからイランまでの列車の旅や、彼女の友人のスウェーデンから韓国までの列車の旅について話をした。飛行機なしには行けないという理由で、アイスランド旅行やアルバ旅行の話を断ったことも明かした。私個人の楽しみのために地球に負荷をかけることはできない、と時に強い口調ではあったが、言葉を慎重に選んでいる様子が、飛行機がいかに私たちの生活に必要不可欠な存在であるか、飛行機を諦めるという選択肢が聴衆にどれほど強い反感を起こすかというのを物語っているようだった。

    特に興味深いと思ったのは、The privilege of Flyingという視点だ。飛行機に乗ることができる、飛行機に乗って休暇にいくだけのお金を持っている、他国に行けるパスポートを持っている、それだけで十分に恵まれているので、多少の不便は我慢しよう、という話だった。確かに、環境問題で被害を被るのは、圧倒的に発展途上国の人々だと思う。目を覆いたくなるような不平等だ。

    彼女は、ヴィーガンになったときにもう肉を食べたいとは思えなくなったように、飛行機をやめる決断をしてからは、もう飛行機に乗りたいとは思わなくなった、と言った。彼女の話に強くインスパイアされて(彼女は I am here to inspire you, not to influence youと言ったので敢えてこの言葉を使う)、ロンドンから日本への旅を調べてみた。

    • ロンドン→パリ EUROSTAR £100, few hours
    • パリ→モスクワ Paris-Moscow express €170-313, 3 days
    • モスクワ→ベイジン Trans-Mongolian Railway, over 5 days
    • ベイジン→上海 high-speed train, 4.5h
    • 上海→大阪 フェリー 2 days

    最初は2nd classで料金も計算していたけど途中でやめた。最低でも12日はかかりそうだし、フェリーは週に2回しか運行してないというから、タイミングが外れたらもっとかかる。実家は大阪にないので、そこからさらに高速バスか電車を使う必要がある。手荷物に常に気を配るのは神経のすり減る作業だとよく知っている。今回イギリスにくる際には、3回の乗り継ぎを経験して、もう二度とやりたくないと思ったが、その時の気持ちをありありと思い出させるような時間割だ。トランスシベリア鉄道は人生で一度は経験してみたいと思うが、環境のためにトランスシベリア鉄道(および日本と中国を結ぶフェリーやフェリー乗り場から鉄道駅までのバス、そしてモスクワから目的地ロンドンやパリへの列車の手配)を第一選択として選択肢に上げるのは相当に勇気がいる。

    世界はとても小さくなってしまった。小さくなってしまった世界をもう一度元のように大きくするべき時代がすぐそこまで来ているのだと思うけれど、飛行機に慣れてしまった私には、ヨーロッパ内ならいざ知らず、日本とヨーロッパの行き来に列車と船だけを使う勇気がでない。普段の努力を無に帰すようなCO2消費量を目の前にしても、飛行機を諦めるだけの強さがない。私にとっては、列車という選択肢がある、というより、飛行機で帰国するか、二度と帰国しないか、の二択という感じだ。倫理的に生きるのは難しい。

  • イギリスでは、経口避妊ピルは希望すれば無料で処方されるが、日本では1枚あたり2000-5000円かかる。日本では、利用者側の偏見・医療者側に利益が少ないなどの理由で普及していないようだが、利用者側の偏見以上に私が気になるのは、その価格設定および避妊目的だと保険適応とならない点だ。(もし患者が「避妊目的に処方してほしい」と言って来院しても、医師は「月経困難症」と診断名をつけて処方する。)

    日本ではピルのユーザー負担額が外国に比べて高いことも普及を妨げている一因ではないでしょうか。女性が主体的にバースコントロールをすることはとても大事なことなのに、ピルを飲むのに「私は避妊じゃなくて生理痛の治療ために飲んでいるから(あばずれではない)」と言い訳が必要な日本の文化もおかしいです。

    宋美玄,開業してわかった 日本でピルが普及しない理由

    妊娠は人生の一大イベントだ。学業や仕事に支障を来し、その後の人生を大きく変える。同じように性交渉を楽しんでも、避妊失敗がもたらす影響を被るのは圧倒的に女性だ。妊娠は、相手がいて初めて成立することなのに、日本では未だ、結婚していない女性の妊娠を責めたり、高校生の妊娠を女性側の問題として取り扱う風潮が強い。

    イギリスでは、女性が自分の身体について決定する権利を重く見ているので、先ほど書いた通り通常の経口避妊ピルもモーニングアフターピルも無料で処方されるし、希望する理由も聞かれない。同じことは中絶にも言えて、イギリスでは、24週までであれば、理由なく胎児を中絶することができる。

    モーニングアフターピルは、病院だけでなく薬局でも購入することができる。薬剤師の質問に答えて40ポンド前後で手に入るが、私の大学では、学生が薬局でピルを購入した場合には福祉関連予算で補填する制度があるので、実質無料だ。質問には、最終性交は何時間前なのか、定期的に内服する避妊ピルの存在は知っているか、などに加えて、性暴力の可能性を除外するための質問も含まれる。薬剤師が怪しいと思ったら適切な機関に繋いでくれるようだ。

    ジャーナリストの伊藤詩織氏は、レイプ被害を受けた後に産婦人科を訪れたときのことについて、著書ブラックボックスでこのように書いている:

    とにかく緊急なので、モーニングアフターピルだけでも処方してください、と必死で頼み、なんとか診察室に入ることができた。対応してくれたのは、40歳前後のショートカットの女医さんだった。「いつ失敗されちゃったの?」そう淡々と言い放ち、パソコンの画面から顔も上げずに処方箋を打ち込む姿は、取りつく島もなかった。私の精神状態のせいもあったのかもしれない。しかし、もしもあの時、目を合わせて、「どうしましたか?」と一言聞いてもらえたら、その後の展開はまったく違っていたのではないか。そう思ってしまうのは、私の甘えだろうか。

    Black Box, 第3章 混乱と衝撃

    その点、イギリスの制度は心強い。

    興味深いことに、日本において右翼がいう中絶が家族の価値を損ねるという考えは比較的新しいもののようだ。Sacred Rights : The Case for Contraception and Abortion in World Religions という本に、日本の仏教についての編集後記がある。それによると、日本の仏教は長らく中絶・嬰児殺を含む家族計画を行ってきたという。その根拠となっているのが、1721年から1847年にわたる人口増加の停滞である。政府は国力強化のため人口増加を期待していたが、政府の希望とは裏腹に、あるレベルまではうなぎのぼりだった人口増加がある時点からピタリと止んだというのだ。戦争、飢餓、疫病といった、一般に人口増加に影響を及ぼす問題がなかったにも関わらず。

    18世紀前半に日本に住んでいた Francois Caronという人物は、日本についてこのような観測を行っている:

    子どもは注意深く優しく育てられている。親が子どもを打つことはほとんど或は決してないし、子どもたちが夜通し泣いていても親は忍耐強く子どもたちと一緒にいる。こうして子どもたちは親に甘えながら、お手本を示されるのだ。

    Daniel C. Maguire, Sacred Rights: The Case for Contraception and Abortion in World Religions, Editor’s Note on Japanese Buddhism pp286

    これを研究していたLaFleurという学者は、子どもを大事にする環境と中絶・嬰児殺を両立させていたのが当時の日本社会であると考えている。中絶の許容と家族生活の質とは必ずしも相関せず、社会が中絶を行いながらも、一般的に言われる「強い」家族観を持つことは可能なようである、と結論づけているのだ。

    現代の右翼活動家は、「家族観」に悪影響を与えるとの思い込みを理由に中絶の権利に異議を唱える一方で、すでに存在している子どもや学校や家族に対してはなんの関心も示さないところが、なんとも滑稽だ。かつての日本についての記録を見ても、現在の他国のありようを見ても、中絶を許容する社会を残酷さと結びつけるのは、短絡的すぎるのは明らかである。

    また別の章には、経口避妊薬が日本では1999年に初めて認可されたことを受け、経口避妊薬はすぐに日本における避妊方法の主流となるだろう、という記事についての言及がある。(引用元はNY Timesの1999年ごろの記事。)残念ながら、今も日本では経口避妊ピルは普及していないし、緊急避妊ピルもアクセスし難いし、中絶するにも他国で安全に使用されている内服薬の使用はできず女性に負担の大きい掻爬術しかない。

    少しずつ改善してきているものの、社会は依然として女性蔑視的だ。2018年4月現在の日本の国会における女性議員の割合は衆議院で10.1%、参議院で20.7%、列国議会同盟の各国下院の調査では世界193カ国中158位とのことだが、旧態依然とした男尊女卑、男性議員の女性に関する数々の失言をみるに、政治の世界に女性を増やすことは急務の課題だ。経口避妊薬の金銭的負担やアクセスの問題は女性議員が増えれば絶対に変わるといっても過言ではないと思う。以前にトークンとしての女性という記事を書いたが、女性議員の増加は、法の改善のみならず、未来の大人たちの意識も確実に変えてゆくだろう。制度の整備は早ければ早いだけ良い。日本には抜本的に変わってほしい。


  • Ariana Grande has come under fire for her ‘seven rings’ tattoo in Japanese. Many people seem to have accused her for “cultural appropriation”. It seems that she has a history of multiple wrongdoing, but I disagree with the idea to call the tattoo cultural appropriation.

    Disclaimer: My target is those who are in some way connected to Japan. I am specifically talking about Japanese culture portrayed as a victim of cultural appropriation because I neither know enough about the history worldwide nor I understand their languages. 

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