在宅医療及び訪問看護を受けていた高齢患者が衰弱して死亡したことにつき、担当医師及び訪問看護師らに、患者の容体に応じた適切な医療上の処置を行わなかった過失があるなどとして損害賠償を求めた事例
91歳、体重24kg。食事に何時間もかかり、1食の半分も終わらない。訪問診療医が訴えられ、高裁は「昼頃に肺炎と診断する義務を怠った」として約220万円を認めた記事。… https://t.co/tHMNR4VdFV pic.twitter.com/6Y3iPi9Qvp— 中田賢一郎/さくらライフグループ代表/医師x僧侶x経営者/ (@n_kata) September 6, 2026
この記事を読んだときに自分が感じたことを省みて、ああ私はNHS Englandで働く医師なのだな、と、しみじみ思った。(なんて酷い!!と思った。)
患者さんがイングランドにいたとしたら、どのような流れになるのか、少し書いてみたい。
この法律事務所の記事によると、この患者さんは亡くなる7か月前から在宅医療サービスを利用していたようだ。90代で要介護5の患者さんが在宅医療に紹介された時点で、記事にもある通り、Advance Care Planning(ACP)やReSPECT discussionは行われるべきだっただろう。11月に誤嚥性肺炎を起こした時など、まさにその話し合いをする絶好のタイミングだったのではないだろうか。
もしこの患者さんがイングランドにいたなら、DNACPR (Do Not Attempt Cardio-Pulmonary Resuscitation: 心臓が止まった場合に心肺蘇生を受けないで死ぬこと)についてだけではなく、
- どこで最期を迎えたいのか(→家、介護施設、病院、ホスピスなど)
- 具合が悪くなったとき、病院に搬送してほしいのか(→病院で死ぬ可能性も多いにある)
- 病院に搬送された場合、どのような治療が行われ、どんな負担があり得るのか
- どこまでなら自宅で治療できるのか
- 「できるだけ長く生きること」と「生活の質を保つこと」のどちらを、本人はどの程度重視するのか
といったことについて、医師や看護師と患者さんや家族が納得のいく結論に辿り着くまで繰り返し話し合う機会が持たれる。
そして、例えば11月の誤嚥性肺炎の時には、こんな話をするだろう:
「〇〇さんの今の状態を考えると、これから徐々に食べられなくなり、意識が低下して眠るように亡くなるという経過もあります。一方で、今回のような誤嚥性肺炎を繰り返し、肺炎が原因で亡くなる可能性もあります。〇〇さんは飲み込む力が弱っているので、食べ物も水も自分の唾すらも、誤って肺に入って肺炎になりやすい状態です。
今回の肺炎については治療してみましょう。ただ、抗菌薬や吸引などの治療をしても完全に元の状態に戻るとは限りませんし、場合によっては、治療そのものが本人にとって苦痛を長引かせることにもなります。
もし今後、同じようなことが起きたら、その時点で治療の目標を『病気を治すこと』から『できるだけ苦痛なく穏やかに過ごしてもらうこと』へ移行する、という選択肢もあります。〇〇さんご本人はどう思われますか?(あるいは、〇〇さんが自分の意見を言えるとしたら何と仰ると思いますか?)」
(※こういう事案で日本だとたまに議題に上がる胃瘻はそもそも俎上に載らない。治療としての絶食は少し触れることがあっても、”Eating and drinking with acknowledged risk (EDAR)”を推奨して患者さんが食べたいだけ食べるのを補助するよう勧める。)
そして、もし実際に呼吸苦が出てきたら、モルヒネやオキシコドンなどのオピオイド、気道分泌物による苦痛を軽減するためのブスコパン、不安や苦痛を和らげるためのミダゾラムなどを皮下注射で使用する、といった具体的な症状緩和方法についても、あらかじめ説明しておく。
そうすると、いざ状態が悪化したときに「救急車を呼ぶべきか」「病院に搬送するべきか」「抗菌薬を使うべきか」「CPRをするのか」といったことを、家族がその場の切迫した状況の中で初めて考える必要がなくなるし、患者さんも望んだ通りの最期が迎えられる。
もちろん、患者さんが「できる限り治療を受けたい」「肺炎になったら毎回病院で治療してほしい」と希望するのであれば、それも当然尊重されるべきだと思う。けれど、今回の患者さんはどうだったのだろう。
何より、このようなベースラインにsevere frailtyがある方にCPRを施すことは、もはや医療行為ではなく、医療の名を借りた暴力なのではないかと感じる。
医療者なら、このような患者さんにCPRを施しても、多発肋骨骨折や血気胸が必発の一方で、蘇生に至る可能性は極めて低い・心拍は再開しても低酸素脳症で会話もできないまま数時間〜数日後に亡くなることを知っている。それでも、医療者が事前にDNACPRについて取り決めをしていなければ、救急隊は目の前の患者さんに対して全力でCPRを実施しなくてはならない。そのことが救急隊員に与えるトラウマたるや、いかほどかと思った。
大切なのは、患者さんが何を望んでいるのかを、元気なうちに家族や医療者と一緒に言語化しておくことなのだと思う。
この記事を読んで最初に私が感じたのは、「この患者さんに必要だったのは、肺炎を何時何分に診断できたかという議論だけなのだろうか」ということと、「90年以上も生きてきたこの患者さんが望んでいた残りの人生の過ごし方は、本当に、1日でも1秒でも肉体的に長く生きることだったのだろうか」ということだった。それを患者さんや家族と話し合う能力のない医師は在宅医療には関わるべきではないだろう。
そして、そのことについて考えているうちに、私はすっかりNHS Englandの医師の思考回路になっているんだなと思った。イングランドで緩和医療に携われるのはとてもありがたいことだ。
参考







